高岡製パン〈熊本市東区〉
幾多の苦難を乗り越え新社屋が完成
若い後継者に夢を繋ぐ

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 合資会社高岡製パン(高岡辰生社長)は2018年4月、熊本地震から復興し新社屋が完成。被災から3年が経過し、新たな気持ちで次世代への夢を繋いでいる。

 熊本地震は、2016年4月14日21時26分以降に熊本県と大分県で相次いで発生した。最も大きい震度7を観測する地震が4月14日と16日未明に発生したほか、最大震度6強が2回、6弱が3回発生した。日本国内の震度7の観測事例としては4〜5例目(九州地方初)に当たる。熊本県熊本地方を震央とする震源の深さ11H、気象庁マグニチュード6.5で同県益城町は震度7を観測した。16日未明の地震後、避難者は最多で18万人を超え、19日には熊本県約12万人、大分県は約1000人に上った。一連の地震による被害地域の生産活動に与えた影響は深刻で、余震が続くため工場内に及んだ地震の被害を正確に把握するに至らず生産再開がままならない状況に追い込まれている企業が多数に及んだ。
 高岡製パンは、熊本市電健軍町停留所から徒歩4分、商店街を抜けた通り沿い立地し、震央とされる益城町から直線距離で約6H。商店街にあるサンリブ健軍店は半壊となり後に解体された。同社も店舗・工場兼住居と道路を隔てた向側の卸パン製造工場が半壊し操業が不能になっただけではなく立入禁止命令が出された。
 事業継続に意欲的な高岡社長はすぐ、再建に奔走したが大規模災害であるため思うように進まず、約2年半の間休業状態が続いた。ようやく、大規模半壊の認定(解体費用全額+見舞金)を熊本市から受け、熊本県からは国から下りるグループ補助(解体し新築すると事業所部分に対し3/4が支給される補助金)が決まり、不足分を自己資金で賄うかたちで新社屋の建設にメドがついた。不足資金には、国の無利息貸付を当てることにしたが、それでも足らず残りは銀行と日本政策金融公庫の融資に頼らざるを得なかった。比較的有利に新社屋の完成に至ったが、何れにせよ借りた金は返さなければならない。国の無利息貸付は20年返済。多くの書類を作成しなければならなかったが、後継者が確定していたためスムーズに決定した。日本政策金融公庫分は設備に充当したため10年。
 様々な苦難を経て、2018年4月に新社屋完成し本格的な稼働を開始した。なお、向側の卸パン製造工場は解体し駐車場にした。しかし、店舗の周辺には更地が目立つ。高齢者が多い地域であるため、商店や住宅の建て直しが困難で使用目的や売却が未だに決まっていないという。
 「新社屋の建物面積は、前の店舗と同じだが、小さくなったような気がする。衛生面を重視して間仕切りや手洗い場所が増え、慣れないこともあって仕事がし難くなった」と高岡社長はいう。確かに新社屋を見ても、向かいにあった工場跡地を見ても小さくなったという印象だったが、新しい厨房で働く人は「エアコンが完備され快適」と答えてくれた。
 1階は店舗と厨房、2階は事務所と応接室、3階は高岡社長と母親の住居。近い将来は、後継者に決めた甥(高岡慎吾氏)夫妻に居住させるらしい。
 「妹の息子を後継者として育てている。今でも店舗運営のほとんどを任せており、甥の裁量で経営と商品作りができるよう、私は厨房に出入りしないようにしている。2階は洋菓子製造の厨房にしようと思い、スペースを空けていたが、来客等の場合に話をする場所がないため、仮に応接室としている。シーターなどが1階厨房に収まり切らないため、駐車場にプレハブを建てて作業をしている」
 2014年10月の取材で高岡社長は「近代的なビルにして作業環境の改善を図りたいという気持ちはあるが、代々引き継がれた店舗・工場に愛着があって踏み切れない」と語っていたが、熊本地震で被災するという物理的・精神的なダメージがあったものの、それらを乗り越えて結果的に新社屋建設と作業環境の改善が達成でき、今までの伝統や製法が若い後継者に引き継がれようとしている。
【高岡製パン】
▽住所=熊本市東区栄町1-11
▽電話番号=096-368-2550
▽営業時間=8〜19時
▽定休日=日曜日
▽従業員数=15名(パート・アルバイト含む)
▽駐車場=8台(バス2台)

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新社屋全景

高岡社長(右)と慎吾氏

厨房内