宮田製パン所〈長崎県西彼杵郡〉
設備更新で時間短縮を実現
経費減を従業員に還元

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工場のスタッフ 左下が宮田社長

リールオーブン

 宮田製パン所(宮田光男社長)は、1948年に現社長の父が創業。創業以来、近隣の小・中学校に学校給食パンを提供している。現在は、県内の長与町と長崎市・佐世保市の一部合計38校に1日平均5500食を届けている。

 2代目の宮田社長は、1947年生まれ。学校を卒業して同社に入社。家業を継承した。1947年は、5月3日に日本国憲法施行。皇室典範、皇室経済法、内閣法、請願法、恩赦法、裁判所法、検察庁法、地方自治法、効力を有する命令の規定の効力等に関する法律、会計検査院法、国会法など施行され、最高裁判所、総理庁、宮内府、検察庁など発足した。4月24日には東海道・山陽本線に急行列車が復活しており、12月1日に100万円宝くじが発売され即日完売した。
 同社は、長崎市の中心部から北東に約10kmの西彼杵郡長与町(ながよちょう)に位置する。長与町は、長崎県中央部の大村湾南岸を町域とし、西に時津町、南に長崎市、東に諫早市と接する。中央部に長与川が流れ、その流域に住宅地や田畑が多い。周辺部は丘陵地で、長崎市北部や時津町東部と連続した住宅密集地となっている。南部では長崎市との境を縫うように浦上川支流の大井手川が流れる。丘陵地にミカン畑、川沿いに水田が広がる農業が盛んな地域だったが、長崎市の都市圏拡大によって1960年代の高度経済成長期の頃より長与川下流部で都市化が進んだ。さらに1980年代からは町内の南部地域と西部地域の丘陵地にも都市化の波が及び、長与ニュータウン・南陽台・青葉台・サニータウン・まなび野・緑ヶ丘団地が相次いで造成された。長崎市のベッドタウンとして発展が進んだが周辺部には森林や田畑が比較的多く残っている。また、隣接する時津町と違い商業施設が非常に少ない。現在、長崎県内では、大村市、西彼杵郡長与町・時津町のみ人口が増加。他の市町村は全て減少傾向にある。
 学校給食の提供内訳は、週にパンが2回、米飯が3回。麺やナンも不定期だが提供される。同社はパンのみを提供。
 同工場は、日曜から木曜まで週に5日稼働。学校給食会に掛け合い、生産に偏りをなくし、平均した生産体制が維持できるように調整してもらっているという。仕込みは、毎日午前3時から。正社員は、宮田夫妻と娘の3人。
 ものづくり補助金(3分の2を補助)を活用してリールオーブンに更新。8月に稼働を開始した。時間当たりの生産量が向上し終業時間が早くなったという。「今まで17〜18時までかかっていた作業が、早い時で15時頃に終われるようになった。リース料や減価償却費等が高くなったが、1〜2時間短縮できたことにより人件費が若干安くなり、電気設備等も併せて見直したため、その差益分を福利厚生の一環としてパート・アルバイトの時間給を上げた」と宮田氏。

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ミキサー

工場内の様子

工場外観