サンスウィートUSA社創業100周年
新たな100年を日本ともに歩む

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 サンスウィート・グロワーズ社(ゲリー・S・ティアラ会長)は5月16日、東京都港区のホテルオークラ東京で、サンスウィートUSA社創業100周年記念パーティを開催した。

 サンスィート生産者協会は1917年、カリフォルニアプルーン・アプリコット生産者協会として設立された。サンスィートという名前は、消費者向け製品のブランド名としてつけられ、それはアメリカの歴史として今も残っている。
 設立当時カリフォルニアのプルーン業界は、サンタクララバレーを中心にしており、協会の本部はサンノゼにあった。20世紀前半サンタクララは、プルーンの木が大半を占めていたが、第二次世界大戦が終わると果樹園はビジネス街に替わり、フルーツからコンピュータチップへと変遷し、農業のメッカはシリコンバレーに移った。1974年には、サクラメントバレーにあるユバシティに新しい中央工場の建設が始まった。加工処理と経営オフィスが移転し、1976年にはジュース工程のラインが加わった。120万平方フィートの敷地に、19エーカー分の建物があり、技術的・規模的に世界一の乾燥フルーツ工場となり、様々な用途に利用されている。
 冒頭、サンスウィート・グロワーズ社最高経営責任者兼社長のデイン・ランス氏は、次のように挨拶した。  日本は、サンスウィート・グロワーズ社における歴史が長く、非常に重要な国である。品質にこだわり、まさにクレイジーに匹敵する。弊社も日本同様品質にはこだわっており、良いペアだと思う。世界で弊社以外の全プルーン取扱業者が品質に費やした時間以上に、品質に時間をかけている。それは、日本の消費者の要求を満たすためであり、弊社の品質向上に繋がっていることを感謝している。
 世界中の食料品店の棚に弊社の製品を置いてもらおうと、100年間ひた走ってきた。現在ではスーパーマーケットにプルーンが置いてないところがなくなったが、今後も成長の余地が残されていると思っている。例えば、パンや加工食品の原材料としてチャンスがある。また、健康志向の高まりや日本におけるプルーンのイノベーションを感じている。そして、これからの100年が弊社にとってベストな100年になると考える。
 日本は、弊社が成功する上で格別の要素を持つ国である。創立100周年を祝していただくことに感謝申し上げるとともに、新たな100年をともに歩みたい。
 続いて、来賓を代表しアメリカ大使館農産物貿易事務所所長のレイチェルネルソン氏が「過去の100年に対する祝賀だけではなく、これからの100年を一緒に祝いたい。アメリカ大使館としては、その関係性の維持に対して最大限の支援を行う」と、正栄食品工業M代表取締役社長の本多市郎氏が「日本市場は品質に厳しい。特に安全・安心を確保できなければ販売できない。サンスウィート・グロワーズ社の種抜き技術は右に出る者がいないほど優秀だと思う。今後もサンスウィートプルーンの販売に力を入れる」と祝辞を述べた。祝電が披露され、サンスウィート・グロワーズ社と来賓の代表者14名による鏡割りが行われた後、豊通食料M代表取締役の畠山愼一氏が乾杯の発声をして記念パーティが始まった。
 宴中に、ブーランジュリー・K・ヨコヤマの横山暁之介氏が、次のように100周年を祝うメッセージを贈った。
 プルーンは、美味しさ、健康面でパンと組み合わせたコンビネーションが非常に優れている。当店では、毎日約千名のお客様が来店し、約1割がサンスウィートのプルーンを使って作ったパンを購入する。まだまだ、プルーンを使ったパンは日本市場に広がっていないが、レーズンやクルミが日本市場に定着するまでに50年以上の時間を要したため、今後に期待できる。最高品質のプルーンを使ったパンを日本のみならず、アジアのマーケットに支持され、販売量が増えることを確信している。ささやかだが、私もサンスウィート社のために美味しいパンを作り続けたい。

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デイン・ランス氏

鏡割り